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1つ、肩の荷が下りました

(「特攻隊」の悲劇を描いた、2013年公開の映画「永遠の0」)


ようやく、1つ大きな「肩の荷」が下りました。

昨日、うちの学校は登校日でした。
今年「平和学習」の担当になっていた私は、高等部の生徒達に向けて「平和授業」を行ったのです。

今年度の4月、自分が8月に「平和授業」をすると決まってからは、少しずつネットで資料を集めたり、戦争関連の本を調べたりして、準備をしてきました。

(戦争中の雑誌「少年倶楽部」。表紙は、少年たちの憧れだった戦闘機のパイロット)


「平和授業」と言うと、最近は行わない学校も増えてきました。
実施するとしても、私が今まで在籍した高校では、戦争をテーマにしたDVDなどをちょっと見せて感想を書いて「ハイ、終わり」というパターンが多くなっていました。


この御時世、あまり熱心に「平和学習」なんてしないほうが無難だ、という空気が教師の間にも広がっていたのは確かです。
しかし個人的には、そうした「消化試合」のような「平和授業」なら、わざわざする意味がないと感じていました。

(戦時中の世相を反映、「撃ちてし止まむ」のポスター)


私の母は今92歳、1945年の終戦時、20歳の「娘盛り」だったのです。
詩人・茨木のり子さんの有名な詩に「わたしが一番きれいだったとき」というのがあります。
まさにあの詩のように、「花盛り」のはずの青春時代を、太平洋戦争で台無しにされた世代の一人でした。

母が41歳の時(当時としては、高齢出産)に生まれた私は、子供の頃から、戦時中のさまざまな話を母から聞いて育ちました。
戦争とは、人間の一番醜い部分をむき出しにするものなんだ、と子供心に感じました。
そのため、同世代の他の少女達に比べると、戦争への嫌悪感、恐れ、怒りといった感情は強かったと思っています。

(当時の有名なスローガン「進め一億 火の玉だ」)


今年、本当にたまたま「平和学習」の担当になった私。
自分が、沢山の生徒達を前に「平和授業」をする機会は、きっとこれが「最初で最後」でしょう。
そう考えると、生徒達に何かを残せるような授業にしたい、と思いました。

同じ高等部で、やはり「反戦」意識が強いT先生(女性)のアドバイスもヒントにして、今年度の「平和授業」は、「特攻隊」をテーマに行うことにしました。
これ以上は、あまり具体的に書くことはしませんが、昨日の「本番」に向けて、準備に追われる日々が続きました。


授業では、映画「永遠の0」の一部を初めに見せることで、「特攻隊」を知らない生徒達にも授業に入りやすい空気を作ることにしました。
また、NHKの「特攻隊」特集番組(DVD)や、特攻隊員の「遺書」など、色々と変化を持たせ、私の説明だけでは飽きてしまう生徒達を、1時間引きつける方法を模索していました。

(男の子だけではない、少女向け雑誌も「軍事色」一色に…)

先日の記事に書いたように、8月2日まで3泊4日の「奈良・神戸旅行」に行くことにしていたので、出発直前までパワーポイントを作成するなど、準備を続けました。


そして昨日の登校日、「平和学習」の本番でした。
高等部の生徒全員と、担任の先生方も一緒に小ホールに集う中、前に出て、マイクを手に授業を行いました。
私より年上のベテランの先生もいる中、緊張しましたが、「やるしかない」と思い、準備したことを全て出しきるように頑張りました。
DVD上映の時などは、もう一人の「人権教育」担当のN先生も手伝ってくれました。


約60分間の授業、生徒達に伝えたいと思っていたことを、全部伝えることは出来ませんでした。
それでも、戦争の悲惨さや愚かしさを知ってほしい、という気持ちは、彼らにも届いたように感じました。

全て終わった後で、何人かの先生方から「生徒達も一生懸命聞いていて、良かったよ!」と言ってもらえて、自分がしたことは無駄ではなかったんだ、と嬉しくなりました。

ともあれ、4月からずっと気がかりだった責任を何とか果たすことができ、私も重たい「肩の荷」が、ようやく下りたのでした。

昨日の夜は、脱力感からか、疲れがドッと押し寄せてきました。
考えると、奈良旅行から戻ってすぐ、「平和授業」の準備で出勤し、ゆっくり休息できないままだったのでした…😱
今日はまだ疲れが抜けず、身体がダルいですが、荒れ放題の家の中を片付けるなど、今まで出来なかったことをして、のんびり過ごそうと思います。

…と言っても、「台風5号」が九州に接近中とのことで、あまりのんびりしてられないかも…😓

(これも戦時中の厚生省ポスター「強く育てよ お国のために」)

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